9月に母が他界いたしました。 私は学校の授業で「生物の一生を三文字で表せば・・食、生、死だ」などと分かったようなことを言っておりました。 身の回りでも、「死」に向き合うことがありましたが、生物だから当然のことだろう・・で片づけていました。 しかし、今回はこたえました。
 何かあると・・「そんなことでは世間を渡っていけない・・・」などと忠告をされました。 「うるさーい!オレもいい歳だ。もう世間を渡りきって、向こう岸にいく歳になってるんだ」 などど反論してました。 先輩にこぼすと
「しかし、親の言うことはあたってるんだぞ」
「いなくなったら、それはそれで寂しいと思うぞ」
と言われました。
 葬儀から四十九日くらいまでは、そのようなことはなかったのです。 しかし、家を片づけていたときに、「こんなに古いものを使っていたんだ。 おまけにセロテープで修理している」 何でオレに言わないんだ! もっとうまく修理してやったのに・・・って泣けてきました。
 アルバムを整理していたら、結構地区の人と旅行に行ってました。 写真の中で、ニコッと笑っていたので救われました。よかった。 周りの人がプラスで、親不孝者の息子がマイナスだから、差引はゼロ。 これでも、まぁよかったかな?「おかあちゃん!」
「孝行したいときには親はなし」・・・・その通りでした。