今で言うウォーターフロント・・かなぁ・・・ 埋立地で育った。 「町」の周りは岸壁でかこまれていた。 高さは数十㎝くらいかな。 当然、学校に行くときも橋を渡った。 意外と都心に近く、鉄道がないけど便利なところだった。 地域のブロックは「会社(工場)」「社宅」「都営住宅」でほとんど占められていたような気がする。 道路は計画的に作られていたので直線で走っていた。
住所には江東区に「深川」と付いていた。 今もあるのでしょうか。 江東区は僕らの頃は「深川」と「城東」に分けられていたんだ。
「埋立地に住んでる」と言いにくい雰囲気もあった。 「あーあの〇〇ね」って言われたこともあるからね。 しかし、こどもにとってはいいところでした。
(1)岸壁から網(虫取り網)でウナギを捕ったことがある。 家の近くにウナギの料理屋さんがあった。 おじさんが串を打ってさばいてた。
(2)オニヤンマ、ギンヤンマ、赤トンボなど昆虫もいっぱい捕った。 トノサマバッタは近くのグラウンドで追い回した。このグラウンドでは女子野球の「サロンパス」だったか、試合を見たことがある。
(3)岸壁のないところもあった。 普通の砂浜だったような気がする。 あるとき、同じ小学校の子どもが小判を掘り当てた。 新聞にでて、多くの人が小判を探しに来た。 都心の宅地造成ででた土砂を捨てに来たので、そのときに捨てられてしまったらしい。
(4)前項と同様に、なぜか「消しゴム」「ガム」が出てくるエリアもあった。 消しゴムは拾った。 うーむ、使えたかどうかは思い出せない。 ガム? 食べたかどうか・・・秘密です。
そして、町のエリアから外に出ると、子どもにとっては未開の地のような大地(大げさですね)が広がっていた。 もちろん、友だちと探検に行きました。