「学校を辞めようかな」と2年生のときに真剣に考えました。 今から思うと、ささいな理由のようですが・・・。
 授業で解剖実習がはじまり、友人の「ウサギの頸動脈を切るだろ。 そうしたら血が吹き出るじゃん。 ウサギが暴れるのを死ぬまで押さえつけるんだぞ。 白衣にとか血が飛ぶんだからたまんねえよ。 かわいそうだけど」の感想のことばを聞き、「これはできない」と思ったからです。 ウサギは免れて、ハツカネズミまででしたが、「毎日、世話をして、それを殺せるかよ!」が私の気持ちでした。
 私は子どもの頃、生き物をかなりいじめました。 「花畑でモンシロチョウが何百と飛ぶのを、棒を振り回し、何匹たたき落とせるか友だちと競争する」 「トンボのしっぽを切り取り、手紙を書いた紙を丸めて刺す。 そして、逃がす」「蝉のアシを全て取り去り、逃がす」 「カエルの口に爆竹をくわえさせて、火をつける」などなど。 しかし、はっきり記憶にはないのですが、小学校の高学年の頃からそのようなことをしなくなりました。 反対に「ねずみ取りにかかったネズミのチューチューなくようすを見て、逃がす」 「捨て猫を見つけ、内緒で自分の部屋の押し入れで5,6匹世話をし、その臭いで発覚する」ということもありました。

 辞める勇気もなく、解剖はハマグリから始まりネズミの日になりました。 瓶に入れ、エーテルを入れると、赤い目が黒くなり、フッと息を吸い込み倒れます。 「人が死ぬときに、息を引き取るという表現をするけど同じだな」と思いました。 骨格標本・筋肉標本・神経標本などつくるために、何匹も解剖していくうちに慣れてしまいました。 終わりの頃になると、私は「よし、皮をうまくはいで、1枚にしてしまおう」 「何枚か集めて手袋を作るかな」などと考えるようになっていました。 慣れることは恐ろしいと思った反面、慣れたら何とかなるのかなとも考えました。

 中学校の理科の教師になって、実物を見せる必要があると感じました。 処理場(あの頃は県内に何カ所かありました。)に行き理由を話しました。 係の方は「いいですよ。 しかし、心臓は売れるから持ち主に断ってください。 それととても大切なことですが、屠殺するのを見て「牛がかわいそう」とか、その係の人に「ひどい」とか言わないでくださいね。 仕事でしているんですから」と言われました。 
 内臓をもらえばいいだけとは思いましたが、そういうものではないと最初から最後まで見ていました。 「はい、心臓」と係の人が差し出してくれました。 両手で受け取ると、まだ温かかった。 ちょっと前まで生きていたのですから当然ですが、命の温かさ・重さを感じました。 気管・肺ともらって、帰りました。
 次のときには、「眼球を20個ください」と言うと、「自分でする?」の言葉に、「いえいえ」と尻込みしました。 それから、手のひらで受け取りました。 (今はいろいろな問題から、もらえないと思います。)

 牛の目の美しさには感動しました。 生きていたらもっときれいなんだろうな。 宇宙空間に浮かぶ地球みたいな透明感でした。