学生のときに、ある先生の講義を受けていた。
「丹那トンネルの上に丹那盆地があるのだが・・・・トンネルの工事に伴って、地域の水が減少し・・・・稲作から、畑作に転換しなければ・・・トンネル工事は難工事だった・・・水が湧出し・・・」
どこかで聞いたことがある話だな。とそれから、講義を聴かずにずっと考えていました。終わり頃になって、やっと思い出した。中学校一年生のときにS先生から聞いたことを思い出したのです。
研究室に行き、そのことを先生に話した。 しばらく考えて、「S君から聞いたのか?」と言われた。「そうです。S先生です」。
先生は「ああ。S君は僕の教え子だよ・・・・単位はあげよう」と言ってくれた。
「ラッキー」。
これはS先生に会って、話さなければと考えた。しかし、なかなかその機会がなかった。あるとき、テレビを見ていたら、教育問題についてインタビューを受けていたのです。本屋さんに行ったら、著書もあった・・・・ますます会って、話したくなったのです。
あれから三十年・・・・やっとその機会がありました。近くに、講演(講義)に来ることが分かりました。早速、何とか連絡を取って、拙宅に招きました。 早速、丹那盆地の話をしました。「G先生だね」。それだけ。「僕は中学1年の時に先生からダジャレの免許皆伝をもらいました。(S先生はダジャレのSで有名で、熱心に授業をしてくれるので生徒にたいへん人気があった人でした。)先生の教科係もしてました」と売り込んだのですが、さっぱり思い出してくれません。 しかし、「今の教育界のこと何でも聞いてごらん」と言って、何について聞いても明快な答えをしてくれました。(政府の審議会の委員をしてたし、著書もたくさんある人でしたから。) それでも、なんとか思い出してもらおうと、僕と同じ学年には「Aさんがいました」「ああ、字がきれいで、勉強もよくできた。」「Bさん」「Cくん」・・・・そうして「ボクもいたんです・・・」って言ったんだ。しかし、最後まで思い出さなかった。いや、思い出そうとしなかった。卒業アルバム用意してたんだけど、「見せてくれ!」って言わなかった。 中学校を卒業して、40年近く先生を探し続けていたのに・・・。ちょっぴり残念な出会いでした。